2011年7月26日火曜日

第二次福島支援レポート①

 7月19日~22日、東地区から福島県の相馬地域へ、第二次の支援を行いました。行動の内容を簡単にまとめてみたいと思います。


 参加したのは地坂拓晃東地区委員長と、東山・一橋地域のUさんでした。19日の午前7時すぎに地区委員会を車で出発し、運転を交代しながら南相馬市の原町区におかれている日本共産党ボランティアセンターに到着したのが午後7時すぎ。ちょうと12時間の移動でした。

 原町地域では、まだ閉じられたままのお店もたくさんありますが、コンビニや飲食店も営業しており、たいへんななかでも日常の生活をとりもどそうという機運が感じられます。

南相馬市原町区におかれている日本共産党ボランティアセンター

閉じられたままのガソリンスタンド
 一夜明けた20日、南相馬市の北部の地域、鹿島区の党支部の皆さんとごいっしょに、「原発からの撤退」署名を集めながら、暮らしの状況や要望をお聞きするとりくみを行いました。京都からも洛南地区、山城地区からそれぞれ支援にこられており、総勢15名ほどの行動になりました。

 福島第一原発から「30km圏内」の住民の方には、東電から補償金の仮払いが行われましたが、鹿島区のなかを「30km」のラインが横切り、約3分の2の地域が「30km圏外」とされました。しかし、「圏外」とされた山の手でも「圏内」より放射線量が高いところもたくさんあり、鹿島の人口1万人のうちすでに2千人の方が区外に避難されているとのこと。

 東電による科学的には何の根拠もない「30km」の線引きによって、お隣同士で線引きが行われたり、敷地の大半が「圏内」でも、母屋が入っていなければ「圏外」扱いになるなど、さまざまな矛盾がうまれています。


 軒並みの訪問で署名を集めました。「軒並み」と言っても、大きな敷地の農家が多く、一軒一軒車で移動するような行動です。「原発からの撤退」「事故の終息と補償を求める」という署名の主旨に反対される方はどなたもおられませんでした。

 「自分たちはもう年だし、育てた野菜を食べてるが、孫たちには食べさせられない」「ホールボディーカウンターで計測したら内部被ばくしていた。おれがべこ(牛)なら殺処分だ」と自嘲気味に話される方。あるお宅では冷えたお茶をだしてもらいましたが、「この水の源泉は飯舘村なんです」と、水の安全の不安も話されるなど、見えない放射線の影響を直接に受けて苦しんでおられることを肌身に感じます。

 「農家は収入がなく、身銭を切って生活している。少しずつであっても補償してもらわないと」「義援金も全国からたくさん集まっているらしいが配られていない」「息子夫婦と孫が避難して二重生活になっていてたいへん」など、実際に被害を受けている方々に、公正な補償を行うことが急がれていることも実感しました。

 また、「地元の県議、市議は何もしてくれない」「菅首相はもう少しがんばってくれるかと思ったが、いい加減な発言で、これはだめだと思った」などなど、政治への怒りの声はどこでも聞かれました。

 地元の党支部では、「日本共産党として軒並み訪問でこれだけの署名を集めたのは初めて」とのことで、その日までの行動で1000筆を超えたそうです。原発問題で堂々と「提言」を発表し、すべての有権者と対話できる日本共産党の役割が、被災地でも本当に大きくなっていることを実感しました。

 
津波で流されてきた漁船がいまだに国道沿いに放置されたまま
<続く>