2013年7月7日日曜日

倉林明子さんに感謝してもしきれない―7月6日山科区の演説会での応援の訴え

7月6日、演説会で訴える倉林明子・参院京都選挙区候補

7月6日、山科区・勧修小学校で行なわれた倉林明子・参院京都選挙区候補の個人演説会で、「府会議員時代の倉林さんの質問で娘の命を救われた」というお母さんに、倉林さん応援のお話しをしていただきました。たいへん感動を呼ぶ内容でしたのでご紹介します。


みなさん、こんばんは。中学1年生の娘と保育園の年長組の息子を持つ母親です。私は、倉林さんに感謝してもしきれない思いを抱いている母親の一人です。

私は身体のある条件によって、早産になりやすいということがありました。子どもたちは低出生体重児であったために新生児集中治療室(NICU)にお世話になりました。

1994年、倉林さんが府議時代に「NICUの増床は待ったなしの課題だ」と代表質問で迫って下さいました。
そのことがきっかけとなり、京都府ははじめて実態調査にのり出し、2年後の1996年には第一日赤に府内NICUの情報を管理する母子救急センターが設置されました。
当時、新生児死亡率全国ワースト2位の京都府では、NICUの設置病院は6カ所だけでした。その後、設置病院は広がり、現在は19カ所になっています。

私は2000年に体重666gと428gの双子の女の子を出産しました。両手のひらに乗るほどの小さな赤ちゃんでした。1人は3日後に亡くなりましたが、長女は5カ月間、NICUにお世話になりました。熟練された医療スタッフに囲まれ、全力で娘は救われました。高度医療を受け、救命してもらって感じることは、生まれた瞬間から人の命は生きていくように守られる存在なのだということです。そしてそれは、自己責任でとか、お金があればとかではなく、行政の中で公的保障としてあるからこそ、娘も助かったのだと思うのです。

倉林さんが府議会で追及してくださった背景には、当時、体重1000g未満の双子さんが府内のNICUで受け入れられず、大阪へ搬送され、救急車の中で生まれた一人目の子が亡くなるという悲しい出来事がありました。そんなことが二度とくり返されないための発言であったと思います。
「政治で救える命を救おう」という、看護師であった倉林さんの熱い思いを感じさせます。質問をした議会でヤジを飛ばした他党議員さんにも「あなたの孫の話かもしれませんよ!」と言って沈黙させるほどの迫力があったと聞いています。

人情味あふれるお人柄で、今度は国政にさらにがんばってほしいと思っています。
東京の八王子市では巨大開発優先で都民に冷たい政治の中で、NICUを備える都立八王子小児病院が廃止され、NICU空白都市となってしまいました。そこで救われるはずだった小さな命はどうなっているのだろうと胸が痛みます。あったところがなくされていってしまう。医療が壊されていくことにストップをかけていきたい。都議選で日本共産党が2倍に議席を増やしたのは、このままではいけないというそんな都民の声が集まったのだと思います。今度は参議院選挙でその声を全国に広げていきたいです。自民党と対決してくれる日本共産党が伸びてくだされば、国民の声で動く政治がはじまるかもしれないとわくわくしています。

私は2007年にも1114gの男の子を産み、再びNICUにお世話になりました。NICUがあるからきょうだいができました。命を守る福祉が削られ、逆行していくのは許せません。
子どもを産み、育てていく中では、保育園の入りにくさや定員オーバーの保育園、保育料の値上げ、学童保育の過酷な環境、学校間の格差、親である私たちの就労の実態や原発への不安などたくさんの困難がありますが、"命は守られ、安心して育まれる"といえる社会になるようにと望んでいます。

そのための仕事はまだ山積みでしょうが、倉林さんならきっと、私たち親の願いをわかって活躍できる人に違いない!!と思います。666gで産まれた中一になった娘も、金曜日は夕食をつくる日にして家族を助けてくれています。微力ですが、私もがんばりたいと思い、お話しさせていただきました。倉林さんに期待しています。がんばって下さい。